これは、タワマン社長が人生を幸せに送っていく処世術として、特に成人して仕事を始め、父と壮大な軋轢を乗り越えて、今は亡き父に感謝をし、人の親になって初めて全てを理解できたことを少し話してみたいと思います。
先ず、タワマン社長はことごとく受験に失敗し、希望の高校にも大学にも行けなかったことで、人生の挫折からスタートしました。
もちろん、受験勉強に真面目に取り組まなかった自分が悪いので、不満はありませんでしたが、本来行くつもりの無い滑り止めの学校に行くことは、やはり挫折でしかなく、学校生活も順風満帆ではありませんでした。
そして、一度、父親の会社に入る前に、知り合いの会社でお世話になっていたのですが、約1年で忙しいから会社に戻れと言われ、そこから社長である父親との壮絶な軋轢が繰り広げられました!
父親(社長)は先ず、タワマン社長に(当時はタワマンにも住んでいませんし、社長でもありませんでしたがww)一切の不平不満を言うことを許しませんでした。
しかも、不平不満を言わさないどころか、無理難題を押し付けて来るのです!絶対に出来ないことや無理なことを命令して、出来ませんなどと返答すれば、怒号を浴びせられ、そこから数時間に及ぶ説教が始まります!
まだ無理難題な命令にしても自分の能力不足で出来ないのなら諦めもつきますが、他の社員のミスも機嫌が悪くなり、お前のせいだと、終わりの見えない説教が始まります!
そこで、これは自分の仕事ではなく、〇〇さんのミスでは?などと反論すると、「また人のせいにするかー!」「そう言う態度がつまらんのだー!」と、その後数時間、直立不動での説教タイムとなります。
そう、不平不満はもちろん、理不尽なことを言われても反論さえ出来ません!
とにかく怒りや悲しみを飲み込み、絶対に愚痴や不平不満を言わず、顔に出せばまた説教になるので、一切顔にも出さず、何を言われても「はい、はい、分かりました」「申し訳ありません」と繰り返します。
説教の長さは最短でも2、3時間程度、長い時は朝9時ごろから、夕方5時ごろまで説教されることもよくありました。時間で言うと約8時間にも及びます!
じゃあ、その間トイレは?食事は?と言うと、トイレは我慢できなくなって身体が震えだすと「トイレに行ってこい!」と言われます(苦笑)
お昼になると「食事をしてこい!」と言われますが、その後のことを考えると食事がのどを通りません…(汗)
食事から帰って来ると「そこへ立て!」とまた父親の机の前で説教が再開されます!
事務所内は社員皆慣れたもので、タワマン社長が大声で説教されている横で黙々と仕事をしています(苦笑)
むしろ一生懸命仕事をすることで、自分に火の粉が被らないようにしているとも感じますが、当時の社員はもう誰もいませんので、詳細不明ですww
そして数時間に及ぶ、壮大な説教が終わるだろう瞬間が、最後の30分から1時間ほどの時に現れるのですが、急に説教のトーンが変わり「起承転結」を迎えます!
そこで「ああ、やっと終わりか…」となるのですが、その時は父親の顔も鬼の形相から、普段の機嫌の悪い社長に戻っています(苦笑)
「もういい、分かったか?向こうへ行け!」と言われて初めて解放されます!
そして散々タワマン社長を怒鳴り、ストレス発散した父親は颯爽と自宅へ帰ります。
しかし、その頃にはもう夕方で、そこからタワマン社長の本当の仕事がスタートです(笑)
社長が退社後、他の社員もパラパラと帰って行くのですが、タワマン社長はいつも説教をされているので定時時間内には仕事が出来ず、夕方5時から夜10時頃までが本当の勤務時間のようなものでした(笑)
なので、家に帰るのはいつも夜10時以降…、土日に休みと言う概念も無く、一度お正月の1月1日に出社して仕事をしていたら、帰宅後、父親にまた怒鳴られ、説教が始まりました!
「正月1日から仕事をするとは、何ごとだー!恥を知れー!」と怒鳴りつけられ、正月早々に散々説教され、次の年からは1月2日からを仕事初めにしました(苦笑)
当時は父親と同居でしたので、家にも逃げ場はなく、家に着いて部屋に入るまで、いかに気配を消して気付かれないようにするか!?いつもその戦いでしたね!
なので、気配を消す方法は完璧に習得しましたよ(笑)
社長に就任するまでのタワマン社長の勤務時間は、朝8時出社、夜10時退社の14時間勤務、勤務日数は、年4回ほどのサーキット走行で休むのと何か病気で1日休むくらいで、年360日ほど働いていましたね!
ええ、もちろん!他の社員さんたちは普通に休んでいましたよ(笑)
次回は、社長就任に向けての話をしたいと思います!
つづく。